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心に残る言葉

平成26年12月1日(月)
 私の竹馬の友に、終戦前まで、日本一の金持といわれました男爵、岩崎久弥というのがおりました。死にましたけれども、もう。私の学習院時代のクラスメイトだった。これが、とにかく、日本で一番の金持ですから、湯島の天神の、有名な『婦系図』の、あの筋向いの角の家が、男爵の家でした。はたから見たならば、仕合せな男だ、と誰でも思うでしょう。これはね。手形の心配もいらなきゃ、相場がどんなに上り下りしようが、ビクともしない、盤石のような、巨万の資産の上にどっかりと胡坐をかいてりゃァ日々がすごせるってェんですからね。
 ところが、当のご本人、どういたしまして、私に会うたびに、出るのは愚痴だけ。
「ねェ、おい、中村、俺は生れそこなったい。こんな家に生れたばっかりによ。生れてから今日まで、俺は一人でもって自分の思うことをしたことはないよ。どこに出るんだって、しょっちゅう五人、十人ぞろぞろくっついて来るだろ。俺があれを買いたい、これを食いたいと言っても、買うことも出来なきゃ食うことも出来ない。いえ、ね、家ん中にいてね、ちょいとトイレに行くんだって、すぐ二人くらいついて来る。お前が大名生活をいやがってからに、家を飛び出した気持ちはわかるよ。不自由なもんだね、人がついているのは、それゃね、俺んとこには金はあるかも知れないけれども、その金、なんになる。使わない金があったって、絵に描いた餅と同じことじゃないか。」
(略)
男爵の方は、また、死ぬまで、自分の居間が二十畳で次の間が十畳くらいでしたが、その中に朝から晩まで、ただいただけでした。重役会議にも代理をやって出やしないしね。その部屋の中に、朝から晩までいた。ちょうど高級な飼犬と同じことです。繁舎の中から出られない。それを笑ってやったことがある。きれいなコリーを奥さんが飼っている。コリーは書生が散歩につれて行くとき以外は、そとへ出られないわけです。「この方が仕合せだよ。出て行かれるから、」と言って、笑ってやったことがあります。結局、死ぬまで、この繁舎の中から自由に出られない。
いかがですか、あなた方は。いま、貧乏でもって、お金のない人、この中にも一人くらいいるでしょう。この人を岩崎同様の身分にして、そのかわり、ここからどこへも出ちゃいけない。二十畳の座敷の中で、朝から晩まで、うろちょろ、うろちょろ。あなた方が理想とする金は、使うそばから殖えてきて、何に使っても誰もどうとも言わないし、どんなに儲けても税務署は来ない。したい三昧のぜいたくが出来ることを目標とした金がほしいんでしょう。そんな金は、どんな努力をしても絶対に死ぬまでふところにははいりません。そのはいらないものを心に描きながら、そうなったら幸福だろう、幸福だろう。何が幸福なものですか。

『天風先生座談 宇野千代著 廣済堂文庫 P158〜164より


平成26年11月6日(月)
●「穢れ」とはどのような考え方か
 神道独特の概念に「穢れ」がある。これは、つかわれている漢字から見て、「汚れ」に似た意味のように思う人もいるだろうが、まったくちがう概念だ。
 「穢」という漢字を当ててはいるが、もとは「気枯れ」に由来する。「気」とは「霊」のことであり、それが枯渇した状態をいう。つまり、「穢れ」とは「死」につながるものなのだ。
 具体的に「穢れ」とされるのは、死そのものと、出血である。前者を「死穢」、後者を「血穢」という。どちらも、不浄とされ、死人が出た家は、穢れを他人におよぼさないように、昔は外を出歩くことさえも禁じられた。この「穢れ」の期間が「喪」である。
 現代でも、家族を亡くした人が「喪中です」と年賀状をださないのは、この考え方の影響を受けたもの。年賀状を欠礼するのは、「私は母が死んで悲しいので、おめでとうという気持ちにはなれない」からではなく、死者を出すと「穢れ」になるので、それをほかの人にうつさないために、交際を避けなければならないからなのだ。
 (略)
 穢れは、犯罪の原因ともされた。気が枯れると、精神的に不安定な状態になり、罪を犯しやすいと考えられたのだ。神道には、人間は好んで罪を犯すわけはなないという考え方があり、罪を犯すのは、気が枯れたからであり、したがって身を清めていれば、罪を犯さずにすむ、と考えるのである。
●「禊ぎ」「祓い」とは何か
 「穢れ」と対になる概念が、「禊ぎ」である。神道では、たとえ「穢れ」を受けても、「禊ぎ」をすれば、もとの清い状態になるとされている。
 (略)
 伊勢神宮をはじめとする全国の神社では、六月と一二月に「大祓い」という行事がおこなわれる。これは、日本の国土すべての穢れを清めるための行事といえる。
 それとは別に、個人的に災いがつづいたときや厄年などで、個人的に「祓い」を受けることは「修祓」とよばれる。神主が木や竹の祓串に麻をつけたものを、左右にふって清めてくれ、このとき、穢れは麻に付着して、身体から離れていくものと考えられている。


『常識として知っておきたい 日本の三大宗教』 歴史の謎を探る会〔編〕P67〜70より


平成26年10月6日(月)
 人は最も当(まさ)に口を慎むべし。口の職は二用を兼(か)ぬ。言語を出(いだ)し、飲食を納(い)るる是なり。言語を慎しまざれば、以(もっ)て禍(か)を速(まね)くに足り、飲食を慎しまざれば、以て病を致すに足る。諺(ことわざ)に云う、禍(わざわ)いは口より出て、病は口より入(い)る(言一八九)

【訳】人は特に口を慎まなければいけない。口は二つの機能を兼ねている。一つは言葉を発することであり、もう一つは飲食物を取り込むことである。言葉を慎まないと禍を招くことがあるし、飲食を慎まないと病気になることがある。
 諺に「禍は口より出て、病は口より入る」とあるのは、これを言っているのである。

『佐藤一斎一日一言『言志四録』を読む』 渡辺五郎三郎監修 致知出版社


平成26年9月1日(月)
 現場や人生のなかでは、いわゆる常識を超えたことが起こります。このような日常を過ごすなかで、この世は人智を超えた力により動かされていると感じています。
 摂理を富士山にたとえると、直観(内なる声に従う)により富士山全体が見える人も少なからずいました。
 一方、科学(合理的判断)とは、近くがよく見える眼鏡をかけて足元を確かめながら登山道を登るようなものです。
 いまの科学では富士山全体は見えません。我々は、理性と直観を研ぎ澄まし、富士山全体を見るよう心がけながら、科学により確実に地歩を進めていけばよいのではないでしょうか。

『魂と肉体のゆくえ 与えられた命を生きる』 矢作直樹著 きずな出版 P2〜P3より


平成26年8月1日(金)
 現代人が、寿命に対して甘い氣分を持ち始めたということは紛れもない真実である。(略)
 昭和20年(1945年)、終戦の年の平均年令というものを、私の夫は記録しているという。
 それによると、女性の平均年令は40代、男性は20代だったという。男たちは戦場へ行き、つまり若くして死んだのであった。20代で死んだ男たちから比べると、40代まで生きられた女達たちは、幸運というかしぶといというか、幸福な存在に見えたろう。夫はその時19才で、すでに2カ月だけ兵士としての体験をしていた。(略)
 モーツアルトが35才、バイロンが36才、太宰が40才、芥川が36才で死んだというと、大抵の現代っ子は驚く。
 ことに、日本の作家の場合は、あんな難しい漢字を書けた人がまだ、3・40代だったんですか、というわけだ。
 こういう歴史を考えると、今の中年以後というのは、化石みたいな存在なのである。(略)
 40代でもう老人、50代は完全な隠居である。
 60才、70才で生きている人がいるなんて、とうてい信じられなかったろう。
 だから現在のほとんどの中年は、昔の人から見たら余生である。(略)
 戦後の生まれでも、大病をしたり、大きな事故にあったりしている人も、その後の生は余生だと感じている。この感覚が実に大切なのである。(略)
 余生の感覚ができると、あまりむきにならない。人間努力しても思う通りにはならないことも知るようになっている。(略)
 そう思えると、人に誤解されても、ほめられても、けなされても、あまりむきにならない。もともと、人に正確に理解されることなどあり得ないのだ、としみじみ思えるような年にもなっているのである。

『中年以後』 曽野綾子著 知恵の森文庫刊 P152〜P155より(2000年12月15日初版)


平成26年6月5日(木)
 日本の建国について意義を唱える人はいると思います。今朝は松本さんがいつものように私を迎えにきてくれたので、暫く話をしました。彼は戦後の教育を受けていますから、本来の修身科らしい修身の授業は受けていません。特に国史においては全く不案内であるという話を聞いて、これは同国異人というか、同じ日本人だけれども世代間でこれほど差があるのかと感じました。やはり教育の差は大きいのです。

辛酉と改元について 三  伊與田覺著   論語普及会・学監   九十九迂叟(うそう・世俗に疎い老人の意で、自らを謙遜している)
論語の友・2月号・P4より  論語普及会刊


平成26年4月1日(火)
 平成8年5月14日朝には機嫌良く玄関に見送ってくれた娘が昼過ぎには不帰の人なり、46年の生涯を閉じた時、私の心はどうかなってしまった。
 教会の御堂が花々にうづもれ沢山の方々が御別れに参列して下さった時には無我夢中で、学校時代からの無二の親友が「大丈夫? 大丈夫?」と背をさすりつづけてくれたことと、葬儀社の老社長が「なんでもいいからこれを飲みなさい」とあたたかいあまーい紅茶をわざわざ口元まで持ってきてくれたこと位しか記憶にない。
 それから一年余、どうにもならない自分をもてあました末にたどり着いたのが短歌だった。  P178

<短歌>
大声で泣くもかなはぬ悲しみは捨つるもならず呑みこめもせず   P74
いろいろと聞きたき事のあるひとは皆あの世なり雲に問はぬか   P140
失ひし共通の人持つふたり仙石原にすすき見てゐる        P120
ビンラディン心の底にかなしみをいつも湛へてゐたであろうか   P163
祈り込め千寿と名付けしわが娘四十六にてその生を閉づ      P165

幸歌集 千尋の海へ 門坂郁著 柊書房刊 ――90歳にして経営する書店のレジに立つ作者の心はいまだ老いることはない――