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心に残る言葉

平成24年12月3日(月)
 人体の不和と病気
 人体はまた精神との大和(だいわ)において人間となっている。最近、精神身体医学Psychoso-matic medicineが発達して、血管の収縮や、酸素消費、尿の生成なども、外界の音響や、言葉や、状況などによって著しく左右されることが判明した。精神と肉体との間には、非物質的な相互作用が行われており、その肉体に対する情緒の反応を物質化して証明することもできる。汗と呼吸がそれをよく表し、アメリカの心理学者エルマー・ゲイツは発汗の科学的分析から情緒の表を作ることに成功した。
 各精神状態はそれぞれ腺や内臓の活動に科学的変化を生じ、これによって造り出された異物を呼吸や発汗によって体外に排出する。液体空気(圧力をゆるめて蒸発させると零下二一七度まで下がる)で冷却したガラス管の中に息を吐きこむと、平常の心理状態のときは、息の中の揮発性物質が液化して無色に近いが、その人が怒っていると、数分後に管の中に栗色の滓(かす)が残る。苦痛や悲哀のときは灰色、後悔のときは淡紅色となる。この栗色の滓は数分で鼠を殺してしまう。一時間の怒りの息の滓は八十人を殺すに足る毒素を出し、この毒素は従来の科学の知る最強の猛毒だそうである。故に悪感情を抱くことは、結局その人の体内に毒素が鬱積して、その人を自殺に導くものである。
 人間の長い長い歴史的経験から生まれた言葉の中には、新しい科学的研究が感を深くするような心理の含まっているものが多い。「毒気を吐く」とか、「彼奴(あいつ)の毒気に当てられた」というようなことは、そのまま真実なのである

人生の大則 安岡正篤著 プレジデント社刊 P14〜P15より

平成24年11月1日(木)
 東洋哲学をやろうと思えば、先ず主な内容は儒・仏・道の三つでありますが、儒教なら孔子から入る。そうして先ず「論語」を読む。するとどうしても「孟子」も読まざるを得ない。処が孔子の系統の中では孟子は理想主義の人であって、これに対して現実主義の荀子の一派があります。そこで「荀子」をやっていると、いつの間にか戦国時代に入って黄老の思想が融合してくる。当然「老子」や「荘子」を読まざるを得ない。読んでいる中に今度は漢代に入ってきて、老荘系と孔孟系が一緒になって、はじめて所謂五経といったものが完成されて来る。
 そうする中に後漢になってインド仏教が入って来るので、当然仏教をやらざると得なくなる。処がその仏教が支那の思想や学問と拘留して独特の支那仏教、禅などというものが生まれると共に、反対にそれに接した支那の思想からは道教が生まれて来る。こういう風に有機的に学んでゆくと、時間をさえかければ儒・仏・道の東洋の学問、宗教の大きな体系に自ら参ずることになるのであります。学問方法の秘訣は雑学をやらずに常に消化という事、つまり純化という事を念頭において進めてゆく、これが肝腎であります。

人生と陽明学 安岡正篤著 PHP文庫刊 P87〜P88より

平成24年10月3日(水)
●「お金」という呪縛
「お金が人を狂わす」とは昔から使われた言葉です。これは何も「拝金主義」と言われる人だけでなく、現代では、ほとんどの方がお金に「翻弄」されているのです。
「お金が人をおかしくする」とはどういうことかと申しますと、たとえば、原発事故後の福島県飯館村を訪れたときのことです。
 飯館村は、福島第一原子力発電所から北西に四十キロも離れた場所にあります。「日本で最も美しい村」連合のメンバーでもある、のどかで風光明媚な山村でしたが、大量の放射性物質が降り注ぎ、山林も田畑も家屋も汚染し、目に見えない恐怖にさいなまれることになりました。
 それは、これまでのように近くある自分の畑から採った食べ物を食べるわけにはいかなくなったことでもあります。だからコメも野菜も買わなくてはいけない。いままでコメも野菜も買ったことなどない村人です。それがやむを得ず「買う」のです。
「コメなんか買ったことないのにね」
 と老人が苦笑いしながら話されていました。
 当然ながらお金が必要となります。そして、お金で「買う」ようになると、思いがけない気持ちが生まれたのです。
「この野菜はいくらなの?これでは足りないんじゃないのかな」
「いま買っておかないと、手に入らなくなるんじゃないか」
 といった強迫観念も生まれるのです。
「焦りのようなものが生まれた。それで、余計に買ってしまう」
 と一人がポツリとつぶやきました。
 お金を出せば「何でも買える」のですが、そのことが人間の欲望を絡めとります。
 原発事故以前なら、畑や家の米蔵から、必要なだけ持ってきて食べてきた人々が、お金との交換だけが生きるすべという状況になったとき、いきなり不安が生まれたのです。
 原発事故をきっかけに、普段着の人がお金に絡め取られたように見えました。
 いわゆる原発マネー以前の、生きる現場で起きた出来事です。

 私たちは、第二次大戦後の飢餓の時代から高度成長によって豊かさを享受してきました。しかし同時に、「お金」は、私たち現代人を強迫観念でわしづかみにしてきたのではないでしょうか。
 強迫観念を「呪縛」と言い換えてもいいでしょう。「お金を持たないと生きていけない」という切羽詰まったような観念です。

グローバル化の終わり、ローカルからのはじまり 吉澤保幸著 経済界刊 P19〜P21より

平成24年9月3日(月)
 天下になくてはならぬ人となるか、有ってはならぬ人となれ。沈香(じんこう・香木)もたけ、屁もこけ。牛羊となって、人の血や肉に化して仕舞うか、豺狼(さいろう)となって、人類の血や肉を啖(くら)い尽くすか、どちらかになれ。
人間というものは、棺桶(かんおけ)の中へ入れられて、上から蓋(ふた)をされ、釘を打たれ、土の中へ埋められて、夫(それ)からの心でなければ、何の役にもたたぬ。

河井継之助の言葉 稲川明雄著 新潟日報事業社刊 P14・P16より

平成24年8月2日(木)
 教育の六つの眼目
 
 「達師の教えは、弟子を安んじ、楽しみ、休み、遊び、粛しみ、厳かならしむ。」
 「教」というものは、何よりも、まず弟子を安心させなければならぬ。先生が何を言っておるのだか、さっぱりどうも安心できぬというのでは教育になりませぬ。(略)

 「楽しむ」ということ。その先生の教えを受ける事が楽しければ、従って学問が、学業が楽しい。楽しまなければ学問も進歩しない。(略)

 三番目に大事なことは、「休む」ということであります。休むというのは、通俗に解すると、何もしないということになりますが、そういう意味ではありませぬ。休という文字をよくみればわかりますが、イ篇に木とかいてある。人が木の下にたっておるということであります。
 かんかん照らされて歩いておる旅人などが、途中木の陰を見つけて、ほっと息をついいぇおるわけです。それは実に幸いである、救われる、気が休まる。したがって、そういう心も体もやすまるというのが、この休であります。(略)

 この休をもっと積極的にすると、「遊ぶ」ということになる。(略)
 元来、遊という文字は、ゆったりと流れてゆく河水のダイナミックの意味を表したもので、したがって水を主体とすれば、(略)游と書いても良い。これは歴史的に言いますと、漢民族が黄河の治水の体験から会得した人生観、生活原理ともいうべきものであります。(略)
 まあ、とにかく学問でも、道でも、芸術でも、「遊ぶ」ということ、優游自適するということが大事であります。

それと同時に「粛む(つつしむ)」、本当に学問そのものになり切ると、自ら内面的につつしむようになる。そうすると、学問というものが価値の高い、意義の深いものになる。

 これが「厳」であります。本人が学問になりきれば、自ら本質・本義に触れて「厳粛」になる。
 これが学問の六義である。

天地にかなう人間の生き方 安岡正篤著 致知出版社刊 P91〜P99より

平成24年7月1日(日)
 母は至極健康で、小柄ではあったが、腰も曲がらず、少し動いたあとなどは顔の血色も良く高齢の老婆とは思えなかった。眼も眼鏡なしでも新聞が読めたし、奥歯が一,二本欠けてはいたが、一本の義歯もなかった。身体はしゃんとしていたが、父の亡くなる前から物忘れがひどくなり、同じことを二回も三回も続けて言うようになっていた。父は母を残して行くことがよほど心配だったらしく、息を引きとるまで、顔を合わせる人という人に母のことを頼んでいた。私にはそうした父の懸念が訝しく思われていたが、母が一人になってから、父の心配がなるほどと思われた。母と離れていると判らなかったが、暫く一緒に生活してみると、老いが母の頭脳を蝕んでいる程度は予想以上にひどいものであった。五分や十分面と対って話している分には判らなかったが、ものの一時間と対坐していると、母の口からは全く同じ言葉が何回も出された。自分がその言葉を口に出したことも、それに対して為された相手の返答も、その瞬間忘れてしまうらしく、暫くすると、母はまた同じ話を繰り返した。話そのものには少しもおかしいところはなく、父と違って若い時から社交的であった母のいかにも口にしそうな話題であった。人の安否を訊ねるにしても、どこかに柔かみを持った母の性質の出ている訊ね方であった。従ってそれを一回耳にする限りに於いては、誰も母の頭脳に老化のための銹びついた部分があろうとは思わなかった。ただ一言一句変わらない言葉を、同じ表情で話し出されると、そこに異常なものを認めないわけには行かなかった。

わが母の記 井上靖著 講談社文庫 講談社刊 P21〜22より

平成24年6月5日(火)
 人間、いつかは一人にならざるを得ない時がやってくる。(略)

 2005年国勢調査の結果を見ると、65歳以上の「一人暮らし高齢者」は約386万人で、5年前の調査に比べて27.5%も増えている。今後はこれの団塊の世代が続々と仲間入りする。近い将来、日本は一人暮らしの高齢者ばかりになるだろう。
 人はいつか死ぬことは誰でも分かっている。しかし、今連れ合いや子供などと平穏な暮らしを営んでいると、いずれ自分一人の暮らしがやってくるという厳粛な事実をリアルに想像できない。あるいは深く考えたくないと思ってしまう。
 人生80年時代、それではいけない。(略)
 では具体的にどんな準備をすればいいか。ポイントは三つある。
 まず、自分一人だけの時間を持つように心がけることだ。それには「自分だけの聖域」をつくるといい。すでに子供が巣立つなどで家に空き部屋があるならそれを使えばいいし、ないなら外に求めればいい。理想は隠れ家だが、何もわざわざ部屋を借りる必要はない。一人の時間を心地良く過ごせるなら、公園でも図書館でもバーでもファミリーレストランでもかまわない。
 次に、一人で行動する癖をつけることだ。たとえば休日、一人で買い物に出かけ、そのついでに一人で食事をし、映画の一本も観て、どこかでお茶でも飲んで、帰って来る。あるいは一人で海までドライブに出かけて、釣り糸でも垂れてみる。旅行も一人で行く。そうやって「夫婦一緒」をなるべく止めてみる。休日を旦那さんが一人で過ごしてくれたら、奥さんだって世話を焼かずに済むから大助かりだ。間違いなく協力してくれる。
 そして三つ目は、奥さん任せだった「料理、掃除、選択」の三大家事になれること。現役のうちは毎日やるのは難しいだろうから、せめて休みの日くらいは奥さんに教えて貰って、真似ごとでもいいからやってみるといい。(略)そうやって一人に慣れておけば、いざと云う時孤独に苛まれることもないだろう。

55歳からの一番楽しい人生の見つけ方 川北義則著 三笠書房刊 P117〜P120より

平成24年5月27日(日)
 「12,3歳くらいまでに民族の神話を学ばなかった民族は、例外なく滅んでいる」トインビーの教えは何を物語るのか。皇統の危機は、男系、女系だけではない、、、。
 <日本はいつできたのか>
 戦後、GHQ(連合国最高司令官総司令部)によって日本の教育が大きく変わったことは、周知の事実です。
 しかし、「日本はいつどのようにできたのか」「天皇が何故存在するのか」という質問に答えられる日本人がどれだけいるでしょうか。どうして答えられないのか。そこには日本誕生の秘密が巧妙に隠され、教育されてこなかった事実があるのです。

月刊誌 歴史通 5月号 ワック出版 なぜ天皇を教えないのか 竹田恒泰著  P50より


平成24年4月5日(木)
 死を認識すれば、死ぬまでにやりたいことが見えてきます。死ぬ前に甘い大福をお腹いっぱい食べたいという人がいるかもしれません。それでもいいのですが、とにかく死ぬまでにやりたいと思うことを明瞭に見つけて、そちらの方向へ歩いてゆく。そしてある日、時間切れで死んでしまう。だれでも最後はだいたいそういうものです。しかし、いいこと、おもしろいこと、凄いことをやる人は皆、こころのどこかに確実に死の観念を持ち続けていたような氣がします。
(略)
 「誡老録」を書いた30代後半から、死ぬまでにものを減らさなければならない、と思っていました。衣服はあまり買わないようにしようとか食器などもこれ以上は増やさないようにしようとか心がけてきましたが、それでも旅に出てきれいなものを見るとつい欲しくなって買ってしまうことは今でもあります。
 しかし、70歳も過ぎれば、そういう煩悩も薄れますし、先が短いのですから、ますますものを減らさなくてはいけないと心に銘じています。
 最近、時間を見つけては、写真の整理をしています。残されたものは始末するのが面倒臭くてたまらないでしょう。もうすでにかなりの量を焼きましたが、自分の写真を残すとしたら50枚だけにしようと思っています。これは、まったく個人的なつまらない目的ですが、高齢者にとっては重要な仕事だと思います。
 私たち夫婦は、これまでの肉筆原稿もすべて焼いてしまいました。文学館とか自分の胸像とか建てたがる人がいますが、私にはなぜ、そんなに世間に覚えていてもらいたいのかぜんぜん分からない。どんなに無理をしても、死者は忘れられるものですからね。

老いの才覚 曽野綾子著 ベスト新書刊 P147〜P152より


平成24年3月8日(木)
メルトダウンを知っていた官邸
 国の基本防災計画では、SPEEDIのデータは関係自治体に、すみやかに伝達される決まりになっている。そしてデータを受け取った自治体は、住民の避難などの判断材料にし、必要とあれば、避難指示を出す。
 ところが、福島県がデータを受け取ったのは、避難指示が出た後の13日午前10時30分過ぎ。それも、県の災害本部が国に要請して、ようやくファックスでデータの一部が届いたに過ぎなかった。
 文科省の主張によると、寄進により回線が故障したため、電子メールに予測データを添付して送ったとしている。しかし、連絡はまったくしていなかったため、膨大なメールに埋もれてしまい、担当者がメールに気づいたのは15日。避難などには活用されなかった。
 このような人命にかかわる重要なデータを送りっ放しにして、福島県に確認も取らない。あまりにも杜撰である。国民にはデータを隠し、自治体にはおざなりに添付メールを送っただけ。そして総理のためだけに使うとは開いた口が塞がらない。
 ERSS(緊急時対策支援システム)のデータ隠蔽は更にひどい。ERSSは1986年チェルノブイリ原発事故を受けて、原子力災害が発生した際に住民の安全を確保するため、迅速に原子炉の状態を把握する必要があるとの趣旨で開発された。ところが、これまた「住民の安全確保のため」にはつかわれなかった。
 原発事故から半年近く経った9月2日、原子力安全・保安院は、大震災の発生直後に作成した福島第一原発1〜3号機の事故解析・予測資料を公表した。この資料の中には、3月12日未明に炉心溶融(メルトダウン)が起き得るという指摘があった。原子力安全・保安院は、事故発生直後、独立行政法人原子力安全機構に依頼し、同機構は原子炉への注水が止まり冷却出来なくなった場合、炉内の状況がどう変わるかをERSSで計算し、その結果、炉心溶融の恐れが判明した。
 報告を受け取った保安院が3月11日午後10時に作成した資料によると、11日午後10時50分に燃料棒が冷却水から露出すると予測。11時50分に燃料の被覆管が破損し始め、12日午前零時50分に溶融が始まる、更に午前3時20分に原子炉格納容器の内圧が限界に達してベント(換気)が必要になり、放射性物質が外部に出ると予測されていたのだ。
 原子力安全・保安院の話では、この資料を3月11日午後10時44分と12日午前零時17分の二回、官邸危機管理センターからもアクセスできる電子フォルダーに入れ、官邸の保安職員が印刷して、担当者に渡したが、内容の重要性が説明された形跡はないという。
 ERSSの解析結果は無視され、政府は危険を隠し、枝野官房長官は国民に向けて、「直ちに健康に影響はない」と繰り返すばかりだったのだ。
 国民の生命にかかわる重要情報をことごとく隠すとはなんたる政権なのか。

日本政府のメルトダウン 舛添要一著 講談社刊 P81〜P83より


平成24年1月3日(火)
 かねがね私は、愛国心とは、一部の人たちが言うような、思想的に論争されるような観念ではなく、むしろ人間が生きていくための「鍋釜並みの必需品」と言ってきました。つまり私たちの子供や孫が、穏やかな家の中で、つつましく楽しく分に応じてよのなかのお役に立てるような生活を送るためには、ご飯を炊いたりお味噌汁を作ったりする鍋釜が要ります。それがなければどんな暮らしも成り立ちません。愛国心というものは、自分の生活を守る上での、お鍋とかお釜のようなものだと、感じたのです。
 しかし幸いにも戦後の私たちは、自分の家族だけ温かいご飯と熱い味噌汁を頂ければ幸福とは思わなくなりました。すぐ隣に飢えた家族がいては、ご飯はあってもおちおち喉を通りません。
 そういう意味で、私たち日本人は、まずまっとうな愛国心によって自国を保ち、少しでもその余裕があれば、隣人と分かち合う、というごく自然な姿勢を身につけたように思います。

生活の中の愛国心 曽野綾子著 河出書房新社刊 P38〜39より