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心に残る言葉

平成23年12月1日(木)
 病のときは、健康と違ってね、一週間や十日、何も食わなくたって、別に体重も減らなきゃ、やせもしやしない。だからむやみに食い物を与えない方が良い。(略)
 病んでる身体の中に食い物をいれてやるってえと、せっかく病的物質を少しでも身体の外へ余計に出しちまおうと活動している尊い作用が、頭から妨げられる。(略)
 急性病のときは、熱があり、炎症があって、そして大して食欲のないときは断然食わない。なんらの恐れないんだから。自然にたまらなく食いたくなるまでは食わせちゃいけないの。食わせずにおくほうが、予後が非常にいいんだから。
 「何か食わせなきゃいけない」なんてお医者が言っても、食わせちゃいけないです。医者と共謀して、大事な病人を殺しちまう必要はないんですよ。
 ところが、こういう心得を実行しないもんだから、食い急ぎをしたり、あるいは食い過ぎをしたり、ね、それで体のよくなるほうを妨げて、病を長引かせちまう。こういう滑稽なことをやってるのがおおかたの人なんだ。
(略)
 どの点から見ても、暖めれば暖めるほど人間の活力は弱る。一番いいのは、暖めては冷やし、冷やしては暖める。冷しどおしでもいけないんだよ。冷凍魚をつくるんでないんだから。間断なく注意深く変化を与えてやる。これがいいんだ。これが。
 その点から、私は風呂に入ってじっくりあったまったら、すぐ後でダーッと水を浴びておけと言うてるだろ。そうするとね、理屈つけて浴びないやつがあるんだ。「せっかくあったものを」とね。せっかくあったまったやつを冷やしてごらん、ほんとうにあったまってくる。後で湯冷めが来ない、湯あがりに水を浴びとくとね。それをあなた方は、知らないとはいいながら、「せっかくあったまったのに、水浴びて、とんでもねえこった」といって、水浴びねえと、あとから今度は水浴びないよりも、もっと冷えてくる。

いつまでも若々しく生きる 中村天風述 日本経営合理化協会出版局 P217〜218 P228〜229より


平成23年11月1日(火)
腹九分―――満腹で苦しい(食べたものが、口から出そうだ)
腹八分―――満足している(食事の量には満足しているが、まだ食べられる)
腹七分―――ちょっと足りない(もう少し食べたいが、我慢する)
腹六分―――もっと食べたい(満足感はないが、我慢する)
腹五分―――まるっきり足りない(空腹感が心地良い)

群馬郵便逓送株式会社発行  群逓COM76号  知足76(深澤賢治記)より


平成23年10月2日(日)
 心氣を養う養生術
 心氣を養うことが養生の術(方法)の第一歩である。心をおだやかにし、怒りと欲とを抑制し、憂いや心配を少なくして、心を苦しめず、氣を痛めないことが、これこそ心氣を養う大切な方法である。
 寝ることを好んではよくない。長く眠っていると、氣(血)の循環がわるくなる。特に食後、飲食の消化していないのに臥してしまうと、食氣をふさいで大いに元氣をそこなう。心しなければならない。酒は微酔いまでがよく、酒席がたけなわになるところでやめるのがよい。
 食事は腹八分がよくて、腹いっぱい食べてはいけない。酒食とも一定量を定めて、限度を越えてはいけない。また若い時から色欲を慎み、精氣をむだづかいしてはいけない。精氣を多くつかうと、下の部分の氣が弱くなり、元氣の源泉に影響してきて、かならず短命になる。もし飲食や色欲を慎まないならば、毎日栄養剤などの補薬をのんでも、朝夕に栄養を補っても何の役にもたたないのである。また、風・寒・暑・湿の外邪をおそれ防いで、起居振舞に節度をもって慎み、食後は適度の運動をし、ときどき養生法としての導引をして、腰や腹をなで摩擦し、手足をよく動かし、労働して血氣を循環させて飲食したものをよく消化させなければならない。同じ所に長く安座してはならぬ。これらはみな養生のために欠くことのできない大事なことである。
 養生の道は、病にかからぬときに慎むことである。病氣になってから薬を使い、針や灸をもって病を攻めるのは養生の末である。養生の根本は、発病する前に予防することである。

貝原益軒 養生訓  伊藤友信訳  P35〜36より


平成23年8月1日(月)
 「歴史的なこの瞬間に、日本には二つのチャンスがある。
 一つは不況そのもの、諸外国を上回る落ち込みである。
 不況とはヒトとモノと土地が余る現象である。不況の深さは、より安価に、よりよいヒトとモノと土地を利用する好機を生む。平成に入って20年余、経済の成長が鈍化したにも拘わらず、日本の人は終身雇用で囲い込まれ、モノは不完全競争で割高、土地は東京一極集中で利用可能地が少ない。長期不況にも拘わらず、この国に新たな産業が育たず、新規の企業が少ない所以である。
 モノが下がりヒトが余り土地が空く今こそ、新しい起業の好機、新産業の成長のチャンスである。日本が、ここ両三年のうちに「明治維新」的改革に踏み切れば、21世紀にもこの国は世界経済の主要プレーヤーとして活躍出来るだろう。
 もうひとつの日本のチャンス、それは高齢化である。
 恒例化には二つの側面がある。一つは高齢労働力の増加、もうひとつは高齢市場の急増だ。
 高齢労働力とは、終身雇用や年功賃金から外れた自由な労働力であり、子育て負担や住宅ローンからも解放された気楽な働き手である。その上、多くは年金受給者でさえある。つまり生活コストが安くて副収入もある人々なのだ。これを巧みに利用すれば安価で優秀な労働力となり得る。
 日本の高齢者は世界一健康年齢が長く、勤労意欲も強い。新しい社会状況に応じた年齢感の見直しができれば、有能有志の労働力となるはずである。

凄い時代 勝負は2011年 堺屋太一著 講談社刊 P330より


平成23年7月1日(金)
 「食後」に飲む指示の薬、食後終了直後は誤り
「食後」とは、食事後30分のこと。「食前」にのむ薬は食べる30分くらい前にのむ。(略)
 たべたあとすぐに薬をのむと、胃で消化されている食べ物と薬が混ざり、ペースト状のまま小腸に送られてしまう。そのため胃から吸収するように造られた薬が胃で吸収されないことになる。P14より。

 やけどをしたとき、氷水につけるのは間違い
 やけどをしたときは冷やせば良い、というのでついやりがちなことだけれど、氷を入れた水につけることは間違いだ。冷たい氷水とやけどをした皮膚の間にぬるい水の層ができてしまい、この層は動かないので、かんじんのやけどを冷やすことが出来ないからだ。
 やけどをしたときは水をかけて冷やすのが正解。水道水を流しっぱなしにして5分以上冷やすのが良い。服や靴下は脱がないで上から水をかける。顔をやけどしたときは水を流したままの洗面器に顔をつける。流水で冷やすという応急処置をしておくと、治りも早く、治った痕もきれいになる。P18より。

 突き指・ねんざは、冷やすのが鉄則
 突き指した指は引っ張らずに冷やすのが良い。冷やす目安は20分〜30分というところ。ねんざも、約20分が目安となる。P60,62より。

医者以前の健康の常識 平石貴久著 講談社+α文庫


平成23年6月1日(水)
 話の最中にメモを絶対にとるな
 私の話のメモは絶対にとるな。これしきのことを覚えられんような心の集中力がなくてどうする。話を聞いた後で書け。書けば聞いたことが、いっそう自分のものになってくる。メモをとらないと、真剣に一言一言聞きもらすまいという気持ちになる。一心に覚えて一心に書いたものを後でじっと見てると、つい実行したくなる。自然に実行しちまう。その気になるからだ。それは心を集中して聞いて後で書くようになるからだ。


実録 中村天風先生 人生を語る 森本暢著  P118より


平成23年5月1日(日)
 忘れる能力は、神から授けられた素晴らしい能力です。生きていることさえ苦しいという絶望感、嫌悪感、失望さえも時間が必ず解決してくれます。
 生理的な老化、つまり標準的な老化現象による物忘れは「忘却健康法」と言えるものです。長寿時代の大切なストレス解消法なのです。
 パーティであった知人のうち、半分の名前が出て来なくても問題ありません。かつての恋人や、好きだった女優や歌手の名前、映画の題名などが出て来なくても、少しも心配することはありません。
 物忘れを、ぼけの始まりかと不安に思う人は少なくありませんが、心配無用です。生理的な老化による「物忘れ」と「ぼけ」の区別を例に挙げましょう。
 眼鏡を置いた場所を忘れ、しょっちゅう探しているのは生理的な老化で、めがねの使い方を忘れたらぼけです。
 友人、知人の名前が出て来ないのは生理的老化、「どこのどなたか存じませんが、いつもご親切に」と奥さんに言うようになったらぼけ。食事のおかずの内容を忘れるのは生理的老化、食べたこと自体を忘れたらぼけと考えられます。

60歳から始まる黄金の人生 余生堂々 松木康夫著 祥伝社・黄金文庫 P109〜P110より


平成23年4月1日(金)
 生まれてきた時は、皆ゼロです。それを考えたら、わずかなものでもあればありがたいと思う。ああ、こんなこともしていただいた、あんなこともしていただいたという足し算で考えれば不満の持ちようがありません。
 でも、あって当然、もらって当然と思っていると、わずかでも手に入らなければマイナスに感じて、不服や不満を言い始める。これを引き算の不幸と言います。
 今の日本は皆の意識が「引き算型」になっている気がします。豊かさであれ、安全であれ、すべて世の中が与えてくれるのが当たり前、百点満点を基準にして望むから、不満ばかりが募って、どんどん不幸になっていくわけです。
 老人にも大きく分けて二つの生き方がある、私はよく思う。得られなかったものや失ったものだけを数えて落ち込んでいる人と、幸いにももらったものを大切に数え上げている人がいます。さまざまなものを失っていく晩年こそ、自分の得ているもので幸福をつくりだす才覚が必要だと思います。
 私はアフリカをかなりよく知るようになってから、人間の一生に与えられるものに関して、ずいぶん謙虚になりました。
 一生の間に、ともかく雨露を凌ぐ家に住んで、毎日食べるものがあった、という生活をできたのなら、その人の人生は基本的に「成功」だと思います。もしその家に風呂やトイレがあり、健康を害するほどの暑さや寒さからも守られ、毎日乾いた布団に寝られて、ボロでもない衣服を身につけて暮らすことができ、毎日おいしい食事をとり、戦乱に巻き込まれず、病気の時には医療を受けられるような生活ができたなら、その人の人生は地球レベルでも「かなり幸運」です。
 もしその人が、自分の好きな勉強をし、社会の一部に組み込まれて働き、愛も知り、人生の一部を選ぶことができ、自由に旅行し、好きな読書をし、趣味に生きる面も許され、家族や友だちから信頼や尊敬、好意を受けたなら、もうそれだけで、その人の人生は文句なしに「大成功」だったと言えます。

老いの才覚   曽野綾子著   ベスト新書   P163〜P165より

 世界を見れば、日本ほど恵まれた国はそうはありません。(略)
 地震や台風で被災した時だって、日本はたいしたものです。とにかく、その日からパンを配るでしょう。途上国では、災害から何日か経って、腹ぺこの被災者達に芋や豆を配ったりします。生のまんまです。被災者たちはふらつく足で燃料を集め、煮たり焼いたりしなくては食べられません。

同、P32より


平成23年3月1日(火)
 冷え切った身体温める柚子湯かな  賢治
 久々に夫婦で歩く花畑  玲子
 ふきのとう堅い地面に顔を出し  賢治 
 ふきのとう苦みの分かる年齢になり  玲子
 靖国の桜咲く頃父想う  賢治
 花豆に亡き母偲ぶおぼろ月  玲子

太田南RCクラブ 句集 芽生え・第三部より


平成23年2月1日(火)
 1968年にニューギニア奥地の食人種を調査した時、中央高地の一部族だけに存在する「クル」という病気を調べた。この病気は現地では笑い病とも言われる精神病ということになっているが、顔の神経が笑ったように引き攣る。本人は苦しがっているようで、とても笑うどころではない。
 患者は八対一で女がやられ、子供は男女とも同じ比率だ。この部族は他の食人種を違って、死人を食べる時に脳も食べ、このとき成人男子には分配されることがない。他の食人種は頭蓋骨を壊さないので、脳を食べることがない。
 症状は脳がスポンジ状にスカスカの穴だらけとなって精神障害が侵攻し、痴呆となってかなり長期間かかるが必ず死に至る。
 (略)
 数年前にイギリスの牧場で10万頭の規模で多発した狂牛病も脳がスポンジ化して牛がよろめいて死んだ。羊や他の動物、人間にも感染し始めたのは、脳を含めた牛肉を減量として餌料化したためだった。
 (略)
 狂牛病を過去のものとして問題にもしていない識者がほとんどのようだが、エイズなどと共に、これから人類の前途に立ちはだかる難病となり、社会を危機に陥れるときがまもなくやってくる。

滅びの大予言 西丸震哉著 三五館発行 P75〜P77より


平成23年1月4日(火)
 太陽系の動きを見ていると、お互いにある関係性をもって、それぞれの惑星が自分の場所を決めていることが想像できます。それぞれが勝手に動き回っているのではなくて、太陽と地球の関係、地球と金星、火星との関係があってはじめてそれぞれの居場所が決まって来るような感じがしないでしょうか。
 臓器も、まるで宇宙の中の地球のように人体という「場」に浮かんでいると考えてみてください。そして、他の臓器と密接な関係性をもって、そこに存在しているのです。
 そして、臓器と臓器の間には、「場」がありますが、さらに細かく見ていくと、細胞と細胞の間、原子と原子の間、原子核と電子の間という具合に、すべての空間に「場」は存在しています。宇宙とうマクロの世界が、原子というミクロの世界にまで広がっているのです。逆に原子の世界が宇宙のモデルになっているとも言えます。つまり「場」というのは、閉鎖系でなくて開放系だということです。
 私達の体はひとつの「場」を形成していますが、そこだけで完結しているわけではありません。体内という限られた空間だけに「場」はあるのではなくて、体内から外界につながっていて、それが地球全体、太陽系、宇宙全体へと果てしなく広がっているのです。(略)
 私達の体は目に見える臓器からだけで作られているのではなくて、臓器と臓器の間、あるいは細胞と細胞の間には空間が存在していて、この空間には何らかの物理量が存在し、一つの「場」を形成しています。その物理量としては、電気や磁気をはじめ、様々なものがあると思いますが、中心となるものは生命と深くかかわるものであろうと考えられます。
 それが何なのか?電気や磁気のようにはっきりとその存在が証明されていませんが、たぶん、私達が「氣」と呼んでいるものではないかと考えても、それは的外れではないと思います。つまり、「氣」という微小な粒子が、私達の体の空間という空間を埋め尽くして、「場」を形成しています。(略)
 中国医学では、「氣」を生命の根源と考えています。つまり、中国医学はすべて、「氣」の存在を前提に語られています。

めでたくポンと逝く―死を語り合えば生き方が変わる― 帯津良一著 文春文庫 P82〜P89より